痛みを伴うのは
ファッションも恋も同じなのかもしれない。
そう思いながら
冴えない週末の前の夜、ウィークデイの仕事から解放された
金曜日の終電間際の電車に飛び乗ったのは
今日がうまく行かなかったことを、現した。
街のネオンが羨ましくも疎ましくも思った。
そんなことはお構いなしと、車窓に映った自分の顔は
酷く疲れているように映った。
新しい、ハイヒールを履いたのは間違っだった。
そして、気取って飲み会に参加したのはもっと間違いだった。
後輩からの誘いを無下に断れなかったというのは建前で
本音は今時よく聞く、「婚活」を自分も真剣に行わないといけないなあ。
そう思ってちょっと意気込んでの参加…。
その結果が、金曜日終電間際の
少し、どんよりした空気とアルコールの臭いが充満した車内。
疲れ切った表情と明日の約束された朝寝坊がせめてもの救い。
溜息は、アルコールと混ざって気分は良くなかった。
何よりも、新しいハイヒールが足のサイズに合わなかったのか
それとも、無理して新調したからなのか
靴擦れを起こしたことに気がついて
吊革に捕まった時に、その車内に漂うどんより感は
更に自分の中で増幅してしまった。
溜息というよりも、諦め。
諦めと同時に感じた、孤独感。
乗り遅れた訳ではないし、特に頑張る気もない。
ただ、少しずつ結婚式の案内状の封を開ける回数が増え
ちょっと中身を読むのすら億劫になっている自分がいる。
億劫、それでいてちょっとした孤独感。
それを週末の電車はゆっくりと家路へと運んでくれる。
きっちりと時間通りに、終電に間に合わないという事件さえも
起こってはくれずに。
何故、どうして?
の自問自答はもう、何度も繰り返した。
その度、答えは返ってはこないし
その度、答えは答えではなくて次の朝には
違う答えを探している。
でもどうしてか、同じ痛みを心に伴っては
次の恋を探して
次の出会いを探して
慣れないハイヒールなんか履いてしまう
自分もそこにはいたりする。
痛いはずなのに、足は悲鳴をあげているのにも関わらず
履いてしまうのは、その痛みを超えてくれる何かが
あることを知っているから?
その何かに浸りたいから?
その何かはいつになったら分かるのだろうか。
目を閉じて、溜息をついた。
特別意味のある溜息ではなかった。
開き直る為の溜息だった。振り切る為の。
その何かが分かるまで
痛みを連れていけばいいじゃない。
ハイヒールを新しく履き替えて、靴擦れを起こして
ちょっと嫌な夜になったとしても。
自分の小さな思い出として、どこかに閉まっておけばいいじゃない。
そう、思えた。
少しの痛みを抱えて。
少しの希望も抱えて。
そうだ、駅に着いたら、コンビニへ行こう。
その店で一番枚数の多い箱入りのバンドエイドを買おう。
傷んだ度に、貼り替えたらいい。
足にできた傷も、ちょっとだけ痛む心にも。
それが必要なくなるまでは
何度でも、何度でも。

